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琉球大学「共生社会に向けたアクセシビリティ」で講師をしました(2024年度前期)

  • 執筆者の写真: 安田 雄太郎
    安田 雄太郎
  • 2024年6月5日
  • 読了時間: 29分

 2024年6月4日、琉球大学の「共生社会に向けたアクセシビリティ」という講義の講師に招かれ、オンライン(Zoom)で90分の講義をさせていただきました。


 この講義は「現代社会においてはグローバル化や性の多様性など、様々な個性を認め合うことが求められており、高齢者や男女、生まれ育った国の文化や障がいの有無などを含めた多種多様な人との交流ができる人材育成が課題である。そのため、本講義では様々な障害やLGBTなどについての知識を広く学ぶとともに、社会的マイノリティの方からの生の意見を聞き、すべての人が生きやすい社会を考えるための思考の柔軟性を獲得することを目的」とされています。


 2023年度に続き2024年度もお招きいただき、「障害者の自立生活運動が果たしてきた役割」「障害者の自立と自己決定」「当事者主体と価値観の問い直し」「医療的ケア当事者への支援と優生思想」をテーマに、障害当事者の立場からお話させていただきました。


 後日、受講された学生さんの感想を頂きました。紹介させていただきます。


安田 雄太郎


【感想】

ゲスト講師の安田さんは、移動における不自由と共に長い人生を生きてこられた方であろう。支えておられる周りの方々も含めて、共に闘ってきた軌跡を赤裸々に話すことで、その不自由さをソフト面・我々非車いすユーザーにも出来る解決に向けたヒントを得るきっかけになっていると思う。本当に頭が下がる思いだと感じる。


第二次世界大戦中のナチスでは、障害を抱える人々は社会にとって価値がなく、政府による迫害が少なくなかったと伺い、障害者の権利が認められていなかったことがわかりました。自分として生きることを認められず、命の価値を他人に決められることは恐怖でしかありません。お互いのことを知り、少しの気づきと配慮をすることが、多様な人々の生き方を尊重し、誰もが自分らしく生きられる社会をつくることに繋がると思いました。科学技術が発達する現代で、特にAIがあらゆる分野で活躍しています。少し話題に上がっPSYCHO-PASSというアニメを私も見たことがありますが、AIによって人々の生活が管理されている世界で、人々の意志はAIの価値判断に委ねられていました。AIの活用方法によっては個々の人権よりも効率性が優先されることはあり得ることで、人間がつくったAIによって多数の人々に恩恵が与えられたとしても、他の誰かが不利益を被ることがないように、個々の人々のことを考えながらAIを活用する必要があります。施設での集団介護は住む場所や人を選べないという言葉を聞いて、施設介護の欠点について考えたこともなかった自分がいたことに驚きました。当事者の視点に立たないとわからないことが多くあり、在宅での介護を希望する人や愛着のある場所で暮らしたい人、家族と一緒に住みたい人など多様な当事者の意思を尊重するためには、私達も当事者の現状や考えを知ろうとする意識を持つことが大切だと感じました。


障がい者が入る施設というのは、本人や家族が安心して暮らせるような場所だと思っていたが、違った視点から見ると自由を奪われてしまう場所なのだということを知って、思慮が足りなかったなと感じた。また、優生思想について、第2次世界大戦時に大きく問題となったことは多くの人が知っていることだと思うが、日本では1996年までその思想を基にした優生保護法という法律が使われていたという事実は、今の大学生の感覚からすると恐ろしいと感じるものではないかと思った。旧優生保護法に関する判決の行方、そしてその先の保護についても注視していきたいと思った。


講義ありがとうございました。安田さんは当事者として社会参加を積極的に行っていらっしゃり、すごいなと思いました。体が自由に動けないからこそ、自由、人権を獲得し、自分の好きなように生きるために社会に訴えることの重要性を感じていらっしゃるのかなと思います。逆に私自身はこれの反対で、当たり前に自由を享受していると思っているから、社会参加が乏しいのだと感じました。しかし、みんなが尊重されるべき時代に自分の意見を表明することはさらに重要だと思いました。


障害のある、ないに関わらず、皆でともに学ぶインクルーシブ教育の実現と、日本の課題としては、医学モデルから社会モデルへの考え方の改善をしていく必要があると感じました。


今回のゲストスピーカーの方のような姿勢には、深い感銘を受けます。生まれつきの持病により車椅子生活を余儀なくされながらも、努力を続け、会社を立ち上げ、車椅子に対する差別や偏見をなくし、社会的障壁を取り除こうとするその決意と行動力には、尊敬の念を抱きます。その方の取り組みは、自らの困難を乗り越え、他者にも希望と勇気を与えるものとなるでしょう。そのような強い意志と社会への貢献に感謝し、その方の活動が多くの人々に影響を与え、社会全体の認識や環境改善につながることを願っています。その方の勇気と決意が、より包括的な社会を築く一歩となることを願っております。


今回のゲストスピーカーの講義を聞いて、車椅子で生活を送る中でも自立した生活ができるということが衝撃的だった。障がい者ということを会社設立につなげ、多くの人をサポートし、普段の生活は趣味ややりたいことを他の健常者のように行うことが、自分のイメージでは難しいと感じていたことをやっていたので、視野が広がる経験を聞けたと思う。


脊髄性筋萎縮症(SMA)という病気を始めて知り、またその苦労も知ることができ、新しい知識を得られたとても有意義な講義でした。私は情報系の学部の学生なので、現在の車椅子よりも便利な車椅子を考えるのも社会のためにもなり、面白いかもしれないと思いました。また、講義内でゲストスピーカーの方がおっしゃっていた「PSYCHO-PASS」は見たことがありますが、「こんな夜更けにバナナかよ」は見たことがないので、時間があれば見てみようかなと思いました。


今回の講義を受けて、車いすユーザーの視点から見た社会の課題に気づくことができた。特に印象に残ったのは、インクルーシブという言葉である。施設での生活は、誰と生活するか、どのように生活するかを選ぶことができないということを聞いて、非常に不自由だと感じ、人権保障の観点から障がいがある場合も、地域で自立した生活を送れるようにすることが重要な課題であると分かった。また、教育や労働などあらゆる面で、人々が障がいの有無に関わらず、共に過ごしやすい社会を実現する必要があると思った。


今回安田さんのお話を聞いて、障害者の自立生活運動について、背景やその影響などについて詳しく知ることができた。私が思っていたよりもこの運動が果たした役割が大きいと知ることができた。ユニバーサルデザインがスタンダードなデザインになる街づくりや、様々な制度、法律の改正等は行政交渉によるものだと知り、驚いた。障害をもつ人々が整備した在宅介護のシステムが高齢化などの影響で、多くの人に利用されている状況を説明してもらい、やはり初めから少数者も含めて制度作りをすることが大切だと感じました。「一人でなんでもできること」イコール「自立」ではない、と言う言葉が印象に残りました。「従属から離れること」が自立であり、そのためには、助けてもらいながら自分もだれかを助けるということが誰にでも言えるのではないか、と感じた。また、安田さんがおすすめしてくださった映画「こんな夜更けにバナナかよ」は聞いたことがあったので、観てみたいと思いました。


障がいがある人も自由に生きられる環境づくりは、民間の声からつくられていると分かった。当事者やその周囲の人々が、何十年もかけて行政に訴えかけて改善されてきたと分かった。話を聞いて、自分が思っていた以上に障がいを持っている人への配慮や働きかけなど、少数のニーズが後回しにされているという印象だった。これからの日常生活の中で、1人1人が誰でも過ごしやすい環境づくりのために、私たちは多様性について理解していかなければいけないと思った。


講義を受けて当事者が発信する力を知りました。やはり多くの人は、心に秘めていることでも発信せず我慢して、支援者へ当事者の本当に必要とするものが伝わらなかったり、伝えたとしてもうまく伝達されず、求めていたものと違うこともあると思いますが、当事者が自ら当事者へ支援することで、一人ひとりのニーズに配慮が行き届くと学びました。僕は、本態性振戦で感じる社会障壁も我慢してしまうタイプなので、安田さんのように当事者が行動するのを見習おうと思いました。


脊髄性筋萎縮症という病の名前を初めて聞きました。この病には、遺伝性があることを知りました。電動車椅子生活で、24時間誰かの介護が必要となると自立するのは難しいなと思いました。寝返りがうてないのは自分がそうなったと思うと不便だし、ずっと同じ体制で寝るのは体が痛くなってしまうので、介護をつけるのは仕方がないと思ったし、家族だけに介護させるのは厳しいと仰っていて、当事者もそのご家族も大変だなと思いました。完全在宅介護は難しいです。ゲストスピーカーの方は当事者でありながら支援者として事業をしているそうで、視野が広がると思うし、病を患っている方の気持ちにより寄り添えるから、当事者であることに意味があると思いました。


車いすで高校に通うことになったときに地元の新聞に載るほど珍しいことだったと知り、とても驚きました。訪問介護など「民間の方のボランティアとしての活動が条例になり、さらに全国へと広がり法律なる」という、個々の活動が全国で認められることに感銘を受けました。インクルーシブ社会という言葉にあまり馴染みがなかったのですが、今回の講義でその意味を知り、少数派を排除、差別することなく、お互いに支え合う関係を築くことが大切だと思いました。


昔に比べて障害がある方が暮らしやすい社会になってきていると思うが、それでもまだまだ改善する余地があると感じた。普段生活している中で意識することは無いが、未だにエレベーターが設置されていない建造物は多い。また、車いすに対応していない公共交通機関も多数ある。ゲストスピーカーの話にもあったように、駅などに設置されているエレベーターは、障害者が行った自立と社会参加を求める運動の成果である。その成果を私たち健常者も享受している。エレベーターは、車いすに乗っている人だけでなく、重い荷物を持っている人や疲れている人、加齢などで足が悪い人にとって欠かせないものとなっている。障害者が暮らしやすい社会は、他の人にとっても暮らしやすい社会である。バリアフリー化には自分は関係ないと考えるのではなく、誰もが当事者であるという意識を持つことが大切である。


今回の講義では車椅子利用者の暮らしだけでなく、障害者ための制度などについても学ぶことができた。まず、障害者関連の法律はボランティアなどの市民の取り組みを受けて作られという流れがある事を初めて知った。それなら私も少しは力になれるのではないかと思った。また、医学モデルと社会モデルの区別や障害者にとっては社会モデルが重視されていることなども学んだ。家族の介護が原因で進路に影響が出たり、仕事に影響が出たりするヤングケアや子育てをしながら親の介護もしないといけないダブルケアが増えているという現状を踏まえ、国は在宅介護の法律を変えていくなど、法律改正に力を入れているという事を学んだ。AIの進化についても話していて、AIと人間では障害についての考え方が違っており、AIは障害者を社会的、経済的に必要のないものだと認識する可能性があるという意見がある事には驚いた。私はAIと違い、障害者は福祉や社会、多様性に貢献していると思う。障害者を排除することにより対立が起き、憎悪が生まれるという悪循環がある。そのような社会をつくらないためにも、障害者に対して理解を深め、AIに頼りすぎず、一人の人間として、人間らしく考えることがこの先重要になってくると思う。自分も「人間らしい考え」を大事にしていきたい。


私は今回の講義を聞いて、初めて脊髄性筋萎縮症を知った。最初に脊髄性筋萎縮症で歩けない、寝返りをうてない、介護が常に必要なことを聞いて、とても大変な病でネガティブなイメージしかなかった。しかし、実際に安田さんは悲観的な感情だけではなく、当事者と支援者の両方の立場からいろいろ発信を行い、多くの障がい者やその家族の心の支えになっている。そのことから、障がい者に対して勝手な偏見を持つことは良くないと改めて感じた。


今回の講義を受けて、車いすユーザーが直面する社会的障壁について理解を深めることができました。これまであまり意識していなかった物理的なバリアや、情報アクセスの問題、そして社会的・心理的な壁について具体的に知ることができたことは、大変有意義でした。特に、バリアフリー環境の整備がまだまだ不十分であることを再認識し、自分自身も社会の一員として、こうした問題に対する意識を高め、改善に向けて行動する必要性を感じました。また、車いすユーザーとの共生社会を実現するためには、物理的な環境整備だけでなく、社会全体の意識改革が重要であると感じました。障害に対する理解を深め、互いに尊重し合う社会を築くためには、教育や啓発活動が不可欠です。今回の講義を通じて、こうした取り組みの重要性を改めて認識することができました。今後は、自分自身も積極的にバリアフリーの推進や、障害理解の普及活動に参加し、共生社会の実現に向けて努力していきたいと思います。今回の学びを活かし、身近なところから少しずつ変えていくことで、より多くの人々が過ごしやすい社会を築いていくことができると信じています。


脊髄性筋萎縮症は難病であり、適切な治療法がないのが特徴である。現在は社会的障壁が取り除かれ過ごしやすい社会になっているが、数十年前は理解されにくい事が多く、ものすごく苦労していたのだろうと感じた。これから過ごしやすい社会を作るために、様々な工夫が重要だと思った。

 今回のゲストスピーカーは自身が障がい者でありながらも介護事業をし、当事者だからこそ分かることがあるのかなと思いました。バリアフリーやユニバーサルデザインなどをスタンダードとする福祉のまちづくりや多様性の共生社会などたくさんの目標を掲げていたので、自分も価値観やユニバーサル社会について深く考えてみたいと思いました。

 この講義を受講して、車いすユーザーが抱える社会的障壁やそれを取り除くためのアクセスや配慮について深く考える機会となった。車いすユーザーの日常生活における課題や困難を改めて認識することができた上に、それを解決するための具体的な施策やアイデアも学ぶことができた。講義を通じて、より包括的な社会への理解や配慮が重要であることを再確認できたと感じた。


手足が動かないという感覚を想像するのが難しく、実際に会ったこともないので、具体的に障壁を考えるのが難しく思った。車いすを使っている方でも利用の仕方や使用理由が違っていて、私は無意識に足だけが問題だと考えていて、今一度自分の知識や認識を見直すきっかけになった。偏見や誤解が問題だと分かっていても、今回のようにキッカケがないと自分の認識が間違っているとは中々気づくことが出来ないので、講義で障がい者の日常的な体験やニーズについて、当事者から聞くことが出来るのは良いキッカケ作りになっていると思った。車いすユーザーの社会障壁について調べた時、バリアフルレストランという面白い試みがあった。内装、店員のコミュニケーション、店内で流れている映像などあらゆる観点で工夫を凝らし、「車いすユーザーが多数派(マジョリティ)で、二足歩行者が少数派(マイノリティー)」の世界を演出するといった企画で、障害者の身体の疑似体験ではなく、環境側の変化“だけ”で困難/障害が生じる仕掛けを施し、あえて参加者の身体への制限を加えないことで、自分たち(ここでは少数派の二足歩行者)に不向きな環境が困難を生み出していることが実感しやすい試みだと思った。このような身体的な体験ではなく、環境が要因での困難を体験することで、本当に必要な物事が見えてくると思う。


今回の講義で、車椅子の方々の苦悩を知り、まだまだ改善点がある事を知りました。車椅子の方への、周りの人への支え方も理解できてとても良い学びがありました。これからの生活で、車椅子ユーザーの方の支えになれるように努力したいと思います。


普段私たちは多少の段差があっても気にしないが、もし車いすでの移動だったら、と考えてみると生活するうえで困ることが多く存在するように感じた。脊髄性筋萎縮症(SMA)という病気は、今回の安田さんのお話を通して初めて知った。運動神経の病気であり、遺伝性の病気のため、両親の遺伝子に欠損があったら自分もそうなっていたかもしれないことを知り、大変驚いたし、他人事ではないと感じた。全身ほとんど動かない生活は、今の自分には到底想像できないけど、安田さんは電動車いすや介護の力を借りながら自立して生きていてかっこいいなと思った。現状として、日本の中で介護サービスは都市部と地方で差があることを知った。実際、私も祖母が介護サービスを受けているのだが、地方のためなかなか思うようなサービスが受けられず、代わりに親や叔母が介護をしていた時期があった。これから共生社会を目指していくにあたり、そのようなサービスをできるだけ早く日本中に充実させていく必要があるように感じた。また、今回の講義で聞くまで知らなかったが、旧優生保護法の裁判についても関心をもって情報を得るようにしようと思った。


今回の授業では、車いすユーザーの方から車いすユーザーや障害者全体についてのことや今までの歴史について学びました。私は授業の中で、障害者における課題と歴史についての話が印象的でした。まず、ゲストスピーカーの方が障害者における課題(健常者についても)について、「健常者と同じように障害の有無に関係なく生活すること」とおっしゃっていたことをきいて、障害を持つ人がそのように生活していくためには、特に当事者じゃない健常者が視野を広げ、多様な人の事を考えることが大切だと思いました。次に、これまでの障害者における歴史について、優生思想に基づいた残酷な出来事が起こっていたことについて初めて知り、とても恐ろしいなと思いました。また、昔と比べて今は、まだ障害を持つ人にとって生きやすい環境になったのではないかと思いました。これから障害者に限らず、多様な人が生きやすいようにしていくにはまだまだ改善できることがあると思いますが、まずは正しい知識を付け、行動するといった意識上の障壁が取り除いていきやすいと思いました。


講義を受けて、自分で住みたい場所を決めることもできない、誰と住むのかも選べないというのは障害者への差別ではないのかと聞いたとき、考えたこともなかったなと感じた。けれど、それを聞いた瞬間、自己決定をすることは人間すべてが与えられた権利なのだから、障害者だからとその権利をなくすことは違うなと思った。そして、障害者の自立をユニバーサル社会の創造力へというスローガンは、障害者と健常者全員が手を取り合って、過ごしやすい世界を作っていこうと背中を押してくれているみたいだなと思い、素敵だと思った。


今回の講義を受けて、特にインクルーシブ教育の話が印象的でした。障害があるという理由だけで初めから勉強に差をつけるのではなく、障害があるない関係なく同じ教育を受けられる世の中になればいいなと感じるとともに、みんながみんな、同じ教育を受ける事の実現はギフテッドと呼ばれる子にとっては、逆に負担になるとも捉えられると感じました。立場が変われば、見方も変わるので、教育における問題というのは非常に難しいものだと思いました。ヤングケアラーとビジネスケアラーは耳にしたことがあったが、育児と介護の二つを行うダブルケアは初めて聞く言葉で、ダブルケアを行っている方も少なくない事を聞いて、かなり衝撃的でした。また、なんでも自分でできる=自立と思っていたが、ゲストスピーカーの話を聞いて、なんでも他人の手を借りずにできる人はいないという事に納得したので、真の自立について自分自身でも考えてみようと思います。


安田さんは身体的な障害があり、身体を思うように動かせないにもかかわらず、会社を立ち上げ、障害を持つ人々を支援する立場になったという話を聞いて、純粋に素晴らしい人だと思い、その自立心は人間として見習いたいと感じた。また、障害があるという点だけで自分の住みたいところに住めず、自由な生活を送れないというのはおかしなことで、人権的に問題があるという意見に共感し、この問題は多くの人に認識してもらい、どうすれば良いのか議論されるべきだと思った。そして、安田さんは車いすユーザーとして目に見える障害を持つが、以前講義をされた聴覚障害の川上さんや性同一性障害の又吉さんなどは外見からは分からない障害を持ち、私が生活する中でそのような人々が多く存在するのだと改めて認識した。


今回の講義を受け、自分の立場で考えた時、他人と生活することや自分の生活リズムを周りと合わせなければならないという不自由さが耐えられないと思いました。これらの、私達が持つべきである自由さが一部の人だけ得ることができないのはおかしいと感じました。他に、授業内でお話があった「駅のエレベーターは自然の流れでできたわけではなく、色々な人が声をあげてきた結果」という言葉から、今まで私が便利で当たり前に使ってきたものも誰かの活動の結果であり、誰かが苦労し、時間をかけて生み出したことに気付き、もっと自分が周囲の物事について関心を向けなければならないと感じました。また、第二次世界大戦からある優生思想などのお話も今まで考えたことがなかった為、非常に興味深かったです。経済的価値がないから排除すべきという思想があり、その名残が現代社会にもあることが恐ろしいと感じました。この優生思想が憎悪を生み出し、戦争に繋がる可能性があるときいて、1人1人が人間の価値は平等であるという意識を持って、生活していくことが大切なのだと改めて感じました。


今回の講義を受け、施設入所ではなく地域での自立生活を目指すということが、世界や国内の障害を持っている方がおかれている大きな課題であり、テーマであるということが分かった。今まで、障害には程度があることは知っていたが、ゲストスピーカーは脊髄性筋萎縮症(SMA)という生まれつきの病気であり、生後間もなく発症した遺伝性の病気によって車いす生活になったという。この遺伝性の脊髄性筋萎縮症(SMA)は、両親が同じ病気でなくとも1/4の確率で、両親の双方に遺伝子の欠損があった場合に生まれる病気で、運動神経が機能しておらず、筋肉に信号がいかないという病気であることが分かり、障害には目や耳などの五感だけではなく、病気による障害があるのだと改めて認識することができた。また、現代社会において第2次世界大戦のナチスの人間の命に優劣をつけ、劣っている人たちを消していくという思想の優生思想を無視することはできないと思う。優生思想という言葉を初めて聞き、また、ナチスがユダヤ人を迫害する前に優生思想から障害のある者に対して、医師達に指示を行い、殺害をしていたことや、ナチスが殺害の指示を中止しても医師たちの個別の状況下で密かに継続されていたという話を初めて聞き、驚愕した。現代において差別があるのは、人間の命に優劣をつける優生思想の考え方が少なからず残っているからであると考えた。このような考え方が、無くなり今よりもっと多様性が認められて欲しいと感じた。


ここまでの講義もそうだったが、障がいのない人が障がいのある人のことを考え、街や社会を作っていくというのは、何十年も前から取り組まれていることであり、それは今も変わらないことで、とても難しいことであると考えている。障がいのある方々が、自分たちにとって不便な場所であったり、社会のシステムに働きかけて、多くの改善を生み出してきた。それは、改めて考えると私たち健常者にとっても便利になっているということは、実際問題少なくない。ここが大事なポイントであると、私は今回の講義を聞いて思った。実際に変化した街や社会の利便性を享受するきっかけやアプローチは様々であるとは思うが、この「共生社会をつくりあげよう」という考えが広まりつつあり、それについて考えられ始めている今、健常者にとって足りないのはその意識であると思う。いつ、変化した街や社会の利便性を享受しないと生きていけなくなるかわからない、またそれに助けられるかわからないという意識はほとんどの人にはないだろう。この講義を聞くまでは私にもなかった。「意識」という極めて実体のないものであるが、当事者意識を持つという難しさと重要性を考えさせられた講義であった。


今回の講義では、障害を持った人が社会で能力を発揮できるにはどうしたらよいのか考えさせられました。今回のゲストスピーカーさんが、様々なところに旅行した写真を見せてくださったり、社会的に活躍されているお話を聞いて、障害があるなしに関わらず、その人個人の個性が評価されて、活かすことのできる社会であってほしいと感じました。私はこの授業を通し、様々なマイノリティーを持った方々の話を聞くまで、障害がある人のことを障害を持った人と心のどこかで思って、勝手に助ける側に感じてしまっていたと思います。今ではそれは違っていて、だれもが社会をよくするための一員で、障害を持っているからこそわかる価値観や発想があり、多くの人の役立つ考えを生み出したり、豊かな個性で、社会をよりよくする可能性を大きく持っていると思いました。なので、障害を持った人ととらえるのではなくて、その人自身の個性を大切にした社会づくりが重要だと思いました。


今回の講義を通して、車椅子ユーザーでも特に日常生活のほとんど介護が必要である難病の方の生活方法が知ることができました。そして、現在私たちがやらなければならないことは、体験して当事者の目線に立ってみることであると思いました。現在の介護団体やバリアフリーの設置を進めているのは、ほとんどが健常者の人ばかりで実際に当事者の目線から見てみると、まだまだ改善の余地があることが多いと知り、やった気になることがよくないと改めて考えることができました。


今回の授業の際の、「例えば駅のエレベーター1つとっても、それは自然の流れでできたわけでも、まして鉄道会社の思いやりで設置されたわけでもない。それは地域に出た障がい者たちが30年以上にわたって、運動を積み重ねてきてくれた成果なのである。多くの健常者が、そのことに無自覚なまま利便性を享受している。また、絶え間ない行政交渉を重ね、彼らがゼロから作り上げてきた在宅介護制度の延長線上に、今の『介護の社会化』と呼ばれる福祉制度の充実がある。」というお話がとても印象に残った。私たちが普段何気なしに使っているエレベーターが実は障がい者たちが30年以上にわたって運動をしてくれたおかげであったり、エレベーターが障がい者だけでなく、ベビーカーの子連れの人にも役に立っているというのが素晴らしいと思った。将来、自分の家を建てるとき、自分の利害関係だけで建てるのではなく、もしこの家を売るときに次住む人が暮らしやすい家を建てるなどの工夫が必要であると感じた。


今回の講話を聞いて、車いすユーザーへの支援や運動が社会に与えた影響などを学ぶことが出来ました。特に、当事者でもあり支援者でもあるという言葉が印象に残りました。当事者だからこそ、不便な面や改善点を見つけたり、どのような支援が必要かを知ることが出来て、他の車いすユーザーを支援することが出来るという所に、とても素敵なことだなと感じました。また、最近話題に上がっていた旧優生保護法の裁判についても、障がい者が子どもを産めなくする手術を認めるという昔の法律は、あってはならないものだと思いました。障がい者が子どもを産むと、障害が遺伝してしまったり、子どもが一生親の世話をしないといけなくなってしまうという課題もあるかもしれないけれど、避妊の手術を認めるというのは如何なものかと思いました。現在の日本には、ヤングケアラーや障がい者を始めとしたマイノリティーの主体性も尊重される世の中を作る、などの課題も沢山あると思うので、沢山議論を重ねて、全ての人が互いに過ごしやすい環境を作っていくことが大切だと改めて考えることが出来ました。


今回の講義を通して、車椅子の方がどういったことに困っているというのは知っていたものの、その苦しさや大変さは他人事のような考え方を持っていて、話しを聞いて、今の考え方ではまだまだ甘いのだと実感しました。これから先に、こういった車椅子の方と接する機会があるかもしれないため、これをきっかけにもっと理解できるよう学んでいきたいと思います。


今回の講義を受けて、車いすユーザーの社会的障壁は、障がい者全体の社会的障壁に結びついたり、高齢化社会の問題にも関連したりしていることが分かった。AIが発達し、物事をAIによるより効率的な判断をしてしまうと、社会的少数派の人権が侵害されてしまう可能性があると考えられるので、AIを積極的に導入するという価値観を問い直していく必要があると知ることができた。


私は、今回の講義を受けて、身の回りにある段差やスロープがすごく気になるようになりました。「この段差、自分だったらなんともなく乗り越えられるけど、車いすユーザーは乗り超えるのが少し怖いだろうな」「このスロープ、少し急になっているから車いすの方が上るのは大変だろうな」など、普段生活する上であまり気にならなかったものが、気になるようになりました。スロープやエレベーターなどは、作るのに時間がかかりますが、私たちが声をかけてあげることは今すぐにでも出来ます。もし、車いすユーザーに遭遇した際に、その方が私の助けを必要としているならば、私は積極的に行動したいと思いました。


今回の講義を受けて、車いすを使っている人がどんな不便を経験しているのか、車いすユーザーでない自分が気付けなかった部分に気付けて良かったと思いました。また、ゲストスピーカーの安田さんのお話を聞いて、障がい者の自立生活運動が果たしてきた役割というものを知って、自分が今まで利用してきたものが、障がい者の方々の働きによって「普通」になったことにハッとしました。


今回の講義を受けて、改めて障害を抱える方たちは精神的にとても力強い方たちが多いなという風に感じました。今回講義を行って頂いた、安田さんから特にそれを感じました。自己紹介をしていただいた際に、当事者としての紹介と、支援者としての自己紹介が別々で行われていて、最初は驚きました。自分自身が車いすで生活していて、介護をしてもらいながら、介護を行う会社も経営していると聞いたからです。自分がやってもらう立場が分かっているから、提供する立場でもいい行いができるのだと感じました。そして、最後にやりたい気持ちがあればできることの方が多いと言っていたので、自分もチャレンジ精神を持って生活したいと思いました。


今回の講義もどうしても周りからの介護を必要とする方のお話を聞いたが、1つ思ったことはやはり、自分の意志の通りに物事が進むことが少なく、大変な思いをしてきたのだろうなということだ。私たちが何気ない日々を送っているそばで少し周りを見渡すと、もしかしたら車いすユーザーが周りからの手助けを必要としているかもしれない。そんなことを考えると、もう少し広い視野を持って生活していきたいと思った。車いすユーザーに「何か困っていることはありませんか。」とひと言かけるだけでも変わることはあると思った。今後の生活では、ちょっとしたことも気づけるように周りをよく見ておこうと思う。


今回の講話を聞いて自分は、車いすの大変さを考えさせられました。多分ですが、車いすは普段見る障がいのなかで、一番見ることが多い障がいだと思います。実際に自分のおばあちゃんも車いすで、いつも母がつきっきりで介護しています。そのため、自分も車いすに対する正しい知識をつけて助けられたらなと思いました。


ある社会からその構成員のいくらかを締め出す場合、その社会はもろい社会である、対立や憎悪を生むだけだという言葉が心に響きました。本当にその通りだなと納得しました。人は自分と似ている人を受け入れ、自分と違う人を排除しようとしてしまうから、誰かが生きづらくなってしまうのだなと思いました。大きく言えば、全世界の人がどんな人でも受け入れる心を持っていれば、戦争がない社会を作ることができるかもしれないと思いました。私はこのクラスを通して、社会モデルの考え方の重要性を理解しましたが、医学モデルの考え方しかない人も社会にはまだまだいると思います。誰もが生きやすい社会にするには、社会モデルの考え方は必要不可欠なので、社会モデルの考え方をもっと広める必要があると思いました。


まず、安田さんのように、支援する立場、当事者としての立場両方を持っている人から話を聞くことができるのはとても貴重である。そして、安田さんの人生観や、歴史から振り返る優生思想の考え方など、安田さん自身の障がい者としての話だけでなく、それ以上に深い部分について話を聞くことができて、すごくためになった。今回の講義で一番印象に残った場面は、エレベーター設置の経緯についての話だ。障がい者の方たちが30年以上訴え続け、駅でのエレベーター設置が実現した。最初は医学モデルであったため、社会全体で障壁をなくそうという動きはなく、鉄道会社の人には「少数の人のためだけにお金をかけることは難しい」と言われてしまったが、諦めずに訴え続けた障がい者の方達の努力が実り、駅でのエレベーター設置に至った。今、私たちにとって駅にエレベーターがあるのは普通の光景であるように感じる。私が旅行に行った際には、キャリーケースを階段で持ち運ぶのは大変なので、エレベーターを使って移動する。しかし、我々健常者は、こういった障がい者の方々の訴えがあったという経緯を知らずに、無自覚のうちに便利さを享受している。私はこの言葉を聞いてハッとした。今私たちの身の回りにある便利さは、自然にできたわけではなく、誰かの奮闘や、訴えがあってものである。また、冒頭でも触れたが、安田さんは人生のテーマとして、「家族から自立する」ということを挙げている。やはり、入所施設に入ると、自由が大きく制限されてしまう。幼い頃から、「親が亡くなったら、自分はどうなってしまうのだろうか」と考えることはすごく辛く、孤独を感じると思う。これを自分で解決しようと、自身で起業し、活発に活動し続けている安田さんの信念の強さを感じ、私もなにかやらなきゃとエネルギーをもらうことができた。


今回最も印象に残ったことは、駅でのエレベーターの設置は自然にできたものでも駅員の善意でもなく、社会に出た障害者の方がイチから作り上げたものであるということだ。荷物が多いときや小さい子供と一緒にいるときなど、エレベーターに何気なく乗っていた。これからエレベーターに乗る際には、障害を持つ方たちが不便なままの状況から少しでも過ごしやすい環境になるよう切り開いていった事例のうちの一つであるということを理解し、敬意を払うようにしたい。すべての人がこのような気持ちを持つようになれば、困っている人がいたら声をかけたり、配慮しあったりすることが増え、誰もが過ごしやすい社会になるのではないか。マイノリティーを排除する社会は「脆くて弱い」という言葉も強く響いた。行政を始め、多くの人が頭ではすべての人が過ごしやすい社会にすべきだと分かっているのに、行動が伴っていないと感じる。このような現状を打破するためにも、現在「脆くて弱い」社会になってしまっているという共通認識が必要だと感じた。


私は今回の講義を受けて、”こんな夜更けにバナナかよ”という映画の監督の「ふだん私たちは、駅にエレベーターがあるのは当たり前だと思って生活している。でも、駅のエレベーターは“自然の流れ”でできたのでも、鉄道会社や行政の“思いやり”でできたのでもない。地域に出た障害者たちが30年以上にわたって運動を続けた成果である。」という言葉が印象に強く残った。私は今までエレベーターがあるのは当たり前だと思っていた。障害者が行政や市民に「なんてわがままな!」と反対されながら運動を続けたことを知らなかった。これからは、高齢者やベビーカーを押す親、足を骨折した人や、重たいキャリーバッグを引く旅行者などみんなの役に立っているエレベーターは、障害者の頑張りによって設置されたものだと忘れずに利用していこうと思った。

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